歌手で女優の菊池桃子さん。
テレビやナレーションではお馴染みですね。
菊地さんは1980年のアイドル黄金期と呼ばれていた時代にアイドルとしても活躍されていました。
そんな彼女を襲った病気や元旦那との離婚理由、子供のことについて調べていきたいと思います。
菊池桃子プロフィール

本名:菊地桃子
誕生日:1968年5月4日
出身:東京都身長・体重:161㎝・48㎏
スリーサイズ:B79-W59-H85cm
カップサイズ:Cカップ(推定)
血液型:B型
所属:パーフィットプロダクション
菊池桃子さんが芸能界に入るきっかけとなったのは
青山で叔母さんが経営していた飲食店にあった菊池桃子さんの写真がたまたま
来店していた芸能関係者の目に留まりスカウトされたようです。
菊地さんの父は芸能界入りに関して、学業に支障がないスケジュールということを条件に本人の希望を優先し承諾しました。
その後、戸坂女子短期大学被服科美術コースに進学し、芸能活動と両立させながら無事に卒業しました。
菊地さんは最初芸能界にまったく興味がなかったそうで、
元々の夢は考古学者になることだったようで、スカウトされたときも時も芸能界を少し見てみたい、という好奇心から芸能界入りをしたようです。
芸能活動を頑張っていた菊地さんですが、当初はデビュー前に数々のオーディションを受けては失敗しての繰り返しに「私は芸能界に向いていない」と思っていたそうです。
しかしそこで諦めることなく苦難を乗り越えた菊地桃子さんは、
アイドル雑誌「Momoko」のイメージガールに選ばれ、創刊号の表紙を飾ると、
1984年4月に シングル「青春のいじわる」でアイドル歌手としてデビューを果たします。
アイドル雑誌「Momoko」の表紙を飾る菊池桃子さん
その後も、その愛くるしいルックスとソフトなしゃべり方でたちまち人気アイドルとなり「日本レコード大賞新人賞」や日本レコードセールス大賞女性新人賞なども受賞し、トップアイドルとして活躍します。
1984年には映画「パンツの穴」で女優デビューを飾りその後も数々の作品に出演しています。
菊池桃子さんが患った「シェーグレン症候群」とは?
菊池桃子さんですが、難病である「シェーグレン症候群」であることを告白しています。
シェーグレン症候群は原因は現在解明されておらず自己免疫疾患の一種として
難病とされています。
日常の診療では診断されにくく40歳以上の中年女性に多く、男女比は一対九と言われています。
菊地さんも病気を発症したのが43歳の時だったようです。
幸い早期発見だったようで早めの対処を行い元気な状態で生活できるようになったようですが、発見が遅れ重症化してしまうと体内の免疫力が衰え内臓にまで影響を及ぼしてしまう、根本的な治療法のない病気のようです。
主な症状としては
目の渇き
身体の渇きによる全身のかゆみ
口の渇き
などが挙げられます。
菊池桃子さんはこの病気と闘いながら2人の子育てをしていたようです。
とても大変な時期だったと思いますがそれを乗り越えられたということですね。
離婚の原因は?
1995年に結婚を発表し二人の子供にも恵まれた菊池桃子さん
結婚相手は西川哲さんで職業がプロゴルファーで母親は歌手の五月みどりさんです。
そんな二人でしたが2012年に離婚しています。
離婚の原因としては西川哲さんの度重なる女性問題や多額の負債だったようです。
西川哲さんは自宅とは別に家を持っていたようで、そこに同業のプロゴルファーの女性を呼び込んだりホステスの女性との関係もあったそうなのです。
実はこのことが発覚したのは菊池桃子の所属事務所が、彼女には秘密で西川哲の素行調査をしていたところ発覚したのだという。
まさか自分が素行調査をされているとは思っておらず、女性に手を出し続けたということになる。
そんなことなので当然家に帰ることも少なく、ほとんど育児放棄のような状態が続いていたようです。
それが原因で離婚した菊池桃子さんは2人の子供を育てながら芸能活動をおこなっています。
病気に負けることなくその上子供を養うために芸能活動を続けるという精神力の強さに驚きです。
歌手としてもまた活躍している姿が見れればなと思います。
子供は?
菊池桃子さんは長男の幸秀くんと長女の小百合ちゃんの2人の子供を生んでいます。
実は長男を出産した後、第2子を妊娠されていたようですが、妊娠後期になってその赤ちゃんに重い心臓病があることが分かったようです。
無事に生まれることができれば手術で助けることができたそうですが、残念ながら赤ちゃんは死産してしまいます。
菊地さんはその時のことについて
子供が病気を持ったならば、
お母さんとして闘おうと考えた時期があった。
と語られています。
子供の病気とは?
長男の幸秀くんは病気もなく健康そのもののようですが、長女である小百合ちゃんは障害を患ってしまいます。
小百合ちゃんは、幼児期(生後7か月)の時に脳梗塞を発症し、その後遺症として、左手足にマヒが残る半身不随になってしまいます。
子供の脳梗塞での障害は、リハビリによって回復します。
小百合ちゃんもリハビリを行い、幼稚園に入るころには普通に歩けるようになっており、有名私立小学校を受験し、見事に合格。
しかし、小学校でみんなと同じことができないことに、ストレスを感じてしまい、過呼吸や円形脱毛症になってしまいます。
娘を守ろうと考えた菊地さんは小百合ちゃんを特別支援学校に転校させます。
無事小学校を卒業した後、次は中学進学でまた大きな壁にぶつかります。
数々の中学校の受験資格に「心身ともに健康なもの」という一文があり、
小百合ちゃんはその受験資格を満たしてないとみなされていたために、受験することができない中学校もあったようです。
ですが、無事に都内の中学校に進学することができました。
菊池桃子さんは娘さんの障害を通して、「障害を持ったこの教育相談の場所が確立できていない」と社会構造への疑問を持ったことをきっかけに、障害を抱える人たちの雇用について勉強の必要性を感じ、大学院に入学し博士号を取得。
現在「キャリア権推進ネットワーク」の理事に就任されています。
何事にも全力に取り組む菊池桃子さんをこれからも応援していきたいと思います。